2008年3月アーカイブ

 最近の一部の日本の若者の犯罪の凶悪さは、その原因の一つに自分の将来への絶望感があるのではないか?日本の指導層が日本の将来へのビジョンを示せていない。新聞などのメディアは毎日、日本は将来、どんどん没落してゆくと書き立てている。こんな状況で若者が自分の将来に対して希望を持てるだろうか?
 そんな中で私は日本の生き方を過去500年間も繁栄を続けた小国(都市国家)ベネチアに学びたいと思う。
 ベネチアは大国に囲まれた小都市国家でありながら15世紀から20世紀までの長きに渡って生き延びてきた。
 中世のキリスト教的考えの下で、地上に富を積まずに天国に富を積みなさいという宗教観が大勢を占めていた中で「健全な精神は安定した生活ができる富があってこそ可能であり、貧乏は人をして偏狭さと犯罪へと走らせる」という理論がフィレンツェの学者のブルーニによって作られた。これによって人々は後ろめたさなく富をうるために働くことができるようになった。これがフィレンツェ、ベネチアなどの都市国家を発祥の地とするルネッサンスの人間革命であるらしい。

 これが適度なものであったか、貧乏人をますます貧乏にする邪悪な考えであったかとうがわからないが、この考えで、自由な市民による共和都市国家ベネチアが誕生し、法学、芸術、商業が大いに発展した。
 彼らは、特定な権力者を極端なまでに嫌い、合議制の集団政治を行ったらしい。
 周りの国々から何度も侵略を受けたにもかかわらず、その精神を保ち続けた。
 周りの国を侵略するという意図は持たず、商業で儲けて、自由を満喫するという精神をずっと持ち続けたらしい。戦争を避けるためにはお金を使ったらしい(相手国が困っている経済上の問題を助けてあげるとか・・・・)。だから、何度も侵略されたにもかかわらず、破壊されることはなかった。日本が(お金を出して)米国軍の傘の下で、戦争の脅威から離れて商業を発展させたのと似ている。

 日本も、周りに大国がある。中国、インド、米国、・・・
 近世時代の欧州人ほど拡張、侵略主義ではないかもしれないが、中国なども将来は、侵略するようなそぶりを見せないとも限らない。このような日本にとってベネチアの生き様を研究することは意味深い。

 他国を侵略しないこと。自衛のために以外に軍隊を使わない(いわゆる普通の国になることを拒否する)。
 自国の文化、商業、技術を高めて他に比類のないものにすること。
 自分の国の中にその文化、商業、技術のエッセンスを保持しておくこと(他国が日本を破壊することのないように、他に無い価値を持っておく)。
 お金として持つのではなく、文化、技術として持つ。
 このような国になることを日本の国是にしたら、日本の将来はかってのベネチアのように安全で確固なものとなり、若者はそのような日本に希望を持つのではないか? 

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