千秋家の墓

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 今日は相生小学校から入り、桜並木の西端から少し南に上がりグラウンドを西によぎり、千秋家の墓へと歩いてみた。墓は明治以降にここに建てられたらしい。千秋氏は古くは藤原南家季範の子孫・熱田大宮司家の流派で、季範の娘は源義朝に嫁して頼朝を生んでいる。千秋家は織田信長から野並をはじめとして3ヶ村を所領としていただいた旧熱田神宮の宮司を明治時代初期まで世襲で務めたとのこと。そうすると、相生山緑地はもとは千秋家の土地であったわけで、その後、土地の所有者がどのように変わっていったのか?なぜ、相生山が現在まで山のままで残されたのか?現在の地主も千秋家由来の人たちかもしれない。興味深い。


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このページは、essahoiが2009年4月 9日 10:21に書いたブログ記事です。

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