ROBOTS Ⅵ(米、1982年)での産業用ロボット展示会

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 1977年にPUMAが発表された後、米国の大企業を中心に、いろいろな企業が産業用ロボットの開発を進めた。1982年3月1~4日に米国のロボットシンポジウムROBOTS ⅥがデトロイトのCOBO HALLで開催され、同時に開催されたオートメーション機器展で米国製の産業用ロボットが数多く展示された。この展示会を見学したときに撮った主な写真をここに掲載する。これらのロボットを造った大企業は数年後にはほとんどがロボット製造・販売から撤退してしまった(注1)。撤退した原因は売れなかったことだろう。米国企業の機器開発に関する底力と変わり身の早さ感じる。
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 注1:2006年現在、米国の唯一の産業用ロボットメーカは Adept Tecnology Inc.と思われる。経営陣には1970年代にStanford大学で計算機制御アームによる機械組み立ての研究(PUMAロボットもこの研究をベースにしている)をしていたCarlisleやShimanoがいる。新技術の開発に意欲的で、技術力はトップクラス。近年では長期間の研究の後で、AnyFeederと呼ぶ「視覚支援型のパーツフィーダ」を製品化した。
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写真はCOBO HALL (Wikipedia,the free encyclopediaから借用)

 当時、デトロイト市はGMやFordなどの米国自動車が日本車におされて、不景気のどん底にあり、商店街なども荒れ果てていたことを覚えている(朝日新聞によれば2006年現在もデトロイト市は再びそのような状況になっているらしい)。
 デトロイト市は自動車産業に加えてロボット産業を振興させて、経済を立て直したいと思ったらしい。ROBOTS Ⅵなどを積極的に誘致していた。しかし、デトロイト市の思うようにはならなかった。PUMAのような高能力のロボットが出現しても、それをうまく使って利益を出すのは中々難しかった。つまり産業用ロボットビジネスはなかなか難しいビジネスだった。

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このページは、essahoiが2006年3月27日 14:45に書いたブログ記事です。

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