アカデミー賞の「ハート・ロッカー」を観る

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 過去最高の映画館入場者数を得た「アバター」を抑えて第82回アカデミー賞を得た「ハート・ロッカー」を観に出かけた。アカデミー賞映画にもかかわらず名古屋地区では現在ベイシティのシネコンでしか上映していない。ウィークデーのこともあるが、観客は10人程度。これも奇妙な話で、興味をそそられる。

 観た第一印象では、最後まで画面にひきつけられた内容のある映画だということ。イラク戦争で爆発物処理班の若き兵士3人の38日間の任務を追った映画である。数多くの処理の任務の際に起こるいろいろな出来事を3人の兵士の人間性を追及しながら見せている。見せ場の中心は、イラクのテロリストがここまでやるかと戦慄を感じるほどの爆発物の仕掛けと攻撃の中で起爆装置を解除するのに成功したり失敗したりする場面である。そういってしまえば単なる娯楽映画になってしまうところを、イラクという占領の現場での緊迫感、現実感の中で兵士の恐怖心、使命感、絶望感を兵士の人間性を絡めて描いてゆくところに引き込まれる何かがあった。
 
 キャスリン・ビグロー監督は爆弾処理を一人で担当する軍曹(二人の支援要員と三人で行動)が、平和な家庭の父親、夫としての幸せを棄てて、死と隣り合わせの爆発物処理に生きがいを求めて、麻薬患者のようにのめり込んでゆくさまを描き高かったのだろう。
 しかし筆者は、万が一の死をも受け入れて爆弾処理に熱中する軍曹の孤独と孤高と、その中でイラクの一人の少年に示す人間味に何か惹かれるものを感じた。そんな人間が存在しうるのか?十字架に張りつけられて死んだイエスキリストのような人間(?)像と重なって感じられた。ドラッグ患者として切り捨てるのはあまりに酷ではないか?キャスリン・ビグロー監督は無意識にそのような人間を描いてしまったと思う。

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このページは、essahoiが2010年3月18日 17:51に書いたブログ記事です。

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