2012年10月アーカイブ

古川為三郎記念館

| コメント(0)

 白壁町で大正時代に富裕層が建てた建物を見てきたが、池下にも資産家の古川為三郎氏(ヘラルドクループ)が住んでいた家が為三郎記念館として公開されているので見てきた。豊田佐助邸などとは大きく違い、茶室を取り入れた数寄屋造りのしゃれた家であった。外観は桂離宮の書院建築のようである。508坪の急勾配の敷地には、木曽川を模した流れる川をあしらった豊かな日本庭園が造られている。


P1020812shuusei.jpg

P1020814.JPG


 もともとは昭和9年に料理旅館として建てられたものを、戦後(昭和20年)に古川氏が買い取り、103歳で他界するまで住み続けた。平成7年に整備・改造されて、それから一般公開されている。
 

  一般公開にあたってどの程度、改築されたのかわからないが、昭和初期でもこのような家が建てられていたのかと勉強になった。豊田佐助邸などには生活感があるが、此処にはそれがない。もともとが料亭として作られ、住宅として作られてはいないので、そうなる。ここに長らく住み続けた為三郎氏は、相当に風雅な人であったのだろう。

 名古屋には40年あまりも住んでおり、白壁町(東区)という高級住宅地に関心はあったが、用事もないのでこれまで行ったことはなかった。今回、気が向いたので「名古屋とっておきの散歩道」という本を参考にして雨の中を出かけてみた。
 基幹バスに乗り白壁で降りた。閑静な高級住宅地ではあるが、白壁がならんでいるわけでもなし、予想とは少し違っていた。もともと中級武士の邸宅が並んでいた地域で、一区画は600坪に区分けしてあったそうだ。そこに、明治大正期に成功した実業家などが家を建てた。現在は600坪の区画の邸宅はまれで、分割されたり、マンションが建ったりしているようだ。

 まず、川上貞奴邸に出かけた。この邸宅は大正期に建てられたアメリカ建築で、撞木町(白壁町の隣)にある。白壁という雰囲気からは相当外れている。元来は近くの東二葉町(現在の白壁三丁目)に建てられたものを平成17年に現在地へ移転・復元したものらしい。東二葉町に建てられたときは敷地は2000坪、建物は180坪もあり、二葉御殿と言うにふさわしかった。

                                                  P1020805.jpg

 現在でも住めそうな間取りではある。建築当時の日本建築にみられるようなふすまで仕切った汎用的な間取りではなくて、部屋の目的を明確に位置づけて配置や間取りがされており、大変合理的にできている(日本間もある)。しかし、日本の暑い夏に合わせて造られているので冬は寒そうだ。同じ洋風建築でも、現在の日本住宅は気密性や水回りが格段に進化していることが、この住宅を見ているとよくわかる。  次に主税町にある旧豊田佐助邸と旧春田鉄次郎邸を見学した。これらは大正期に建てられており、和洋折衷で2階はほとんど和室になっている。洋室には特に特徴もなさそうなので、昔の日本間を懐かしく拝見した。佐助邸の2階には10畳、13畳などの広い部屋がふすまで仕切られて並んでいる。昔の日本建築にはよく見られた間取りで、広い以外は特に驚くことはなかった。富裕層としてふさわしい邸宅とするためには、お金は洋風部分や門構え、建物の材質、庭などに使ったのであろうか? 下の写真は佐助邸の正面写真である。敷地は600坪くらい?一見コンクリート造りの建物のような構えであるが、実は木造タイル張りで、当時からこのような造りになっていたそうで、中は和洋折衷の木造建築である。  旧豊田佐助邸のすぐ左隣りにある旧春田鉄次郎邸も大正期に造られており、もとは600坪くらいの敷地であったろうが、今は建物以外の庭スペースは別の建物が建っており、時代の変化に押し流されそうになっている。 二階の間取りなどは旧豊田佐助邸と似ている。  下の写真は両邸宅がある主税町の道路である。大きな邸宅やマンションが並んでいる。

P1020806.jpg
 

 雨が強くなり、白壁町の街並みを歩くことも難しくなってきたので、近くにあった堀美術館に入った。入館料1000円。なかなか立派な建物で、内容も期待以上であった。高名な画家の絵が多くあった。梅原龍三郎、藤田嗣治、三岸節子、東山魁夷、佐伯祐三、安井宗太郎、小磯良平、伊藤深水、その他数々。

久しぶりの東京行きだ。10月13日(土)、名古屋を朝一番(6時20分)の「ひかり」で出発。車内放送の案内で外を見ると富士山がきれいに見えた。太陽光の照射角度の関係で影の富士山になっている。外は明るいのに富士山が陰って見えるのは、この時間帯ならではの光景で、おもしろい。山頂にまだ雪はない。

P1020769.jpg

 時間ができたので東京空町のスカイツリーに行ってきた。土曜日なので大変な混みようだ。登るのは3時間待ちなのであきらめて、ツリーの下から見上げるだけとなってしまった。ツリーの足元は高さが600m余りある塔にしては大変コンパクトな感じを持った。ツリーの周りの一角は洗練されたショップなどでいっぱいだが、その外回りは古い町並みで、その印象の差が大きい。古い町並みには何か取り残されているようなわびしさが漂っていた。これからの日本の都市にはこのようなアンバランスな風景が増えてゆくのだろうか?

P1020795.jpg

P1020796.jpg

 夕方に東京駅に戻ると、改修された東京駅がライトアップされており、多くの人が写真を撮っていた。確かにきれいな外観になっていたが、高層ビルの中に明治時代の建物があると、対比が強すぎて違和感を感じる。まわりに古い建物がいくらか残っているとこの違和感は緩和されたかもしれない。欧米では新しいビルをつくっても、外観は古い様式を採用して、街並みとしての統一感を出しているように思う。今後の都市設計では街並みの統一感を作ってゆくことが大事なのではないか?

P1020799.jpg

2年ぶりの猿投山

| コメント(0)

 気が向いたので新車(アクア)に乗ってグリーンロードを走り、猿投山へ。
10月7日日曜日で、秋晴れの晴天ということで、猿投神社付近の登山客用の駐車場は満杯。少し登って道路わきに駐車している車群のわずかな隙間に駐車できた。さわやかな空気が心地よい。久しぶりなので11時ごろからゆっくりと登る。もうすでに降りてくる人も多く、挨拶をしながら、気持ちよく登る。途中、展望台に寄ってゆく。こちらに来る人は少なく、3組くらいしかいない。
 再び登り始めると登山道わきに二種類花が咲いていた。一つはシソ科テンニンソウ属のミカエリソウで山地の林床に咲く、花期は9月。一つはシソ科ヤマハッカ属のセキヤノアキチョウジで山地の木陰に生息する。花期は8月~10月。猿投山では花を見ることは少ないので貴重な花だ。

__22.JPG

__23.JPG

 東宮で昼食をとり、また登ると、登山道わきの杉の木が間伐されて、道の補修やベンチ用として使われていた。頂上に上ったら新品のベンチが沢山出来ていて、多くの登山者が腰かけていた。今まで数年間もこのようなことはなかったので、最近、登山客が増えていて、それに備えてのことかもしれない。

P1020765.jpg

P1020764.jpg

P1020763.jpg

月別 アーカイブ

ウェブページ

リンク

Powered by Movable Type 7.0.1

このアーカイブについて

このページには、2012年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2012年9月です。

次のアーカイブは2012年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。