名古屋には40年あまりも住んでおり、白壁町(東区)という高級住宅地に関心はあったが、用事もないのでこれまで行ったことはなかった。今回、気が向いたので「名古屋とっておきの散歩道」という本を参考にして雨の中を出かけてみた。
基幹バスに乗り白壁で降りた。閑静な高級住宅地ではあるが、白壁がならんでいるわけでもなし、予想とは少し違っていた。もともと中級武士の邸宅が並んでいた地域で、一区画は600坪に区分けしてあったそうだ。そこに、明治大正期に成功した実業家などが家を建てた。現在は600坪の区画の邸宅はまれで、分割されたり、マンションが建ったりしているようだ。
まず、川上貞奴邸に出かけた。この邸宅は大正期に建てられたアメリカ建築で、撞木町(白壁町の隣)にある。白壁という雰囲気からは相当外れている。元来は近くの東二葉町(現在の白壁三丁目)に建てられたものを平成17年に現在地へ移転・復元したものらしい。東二葉町に建てられたときは敷地は2000坪、建物は180坪もあり、二葉御殿と言うにふさわしかった。
現在でも住めそうな間取りではある。建築当時の日本建築にみられるようなふすまで仕切った汎用的な間取りではなくて、部屋の目的を明確に位置づけて配置や間取りがされており、大変合理的にできている(日本間もある)。しかし、日本の暑い夏に合わせて造られているので冬は寒そうだ。同じ洋風建築でも、現在の日本住宅は気密性や水回りが格段に進化していることが、この住宅を見ているとよくわかる。
次に主税町にある旧豊田佐助邸と旧春田鉄次郎邸を見学した。これらは大正期に建てられており、和洋折衷で2階はほとんど和室になっている。洋室には特に特徴もなさそうなので、昔の日本間を懐かしく拝見した。佐助邸の2階には10畳、13畳などの広い部屋がふすまで仕切られて並んでいる。昔の日本建築にはよく見られた間取りで、広い以外は特に驚くことはなかった。富裕層としてふさわしい邸宅とするためには、お金は洋風部分や門構え、建物の材質、庭などに使ったのであろうか? 下の写真は佐助邸の正面写真である。敷地は600坪くらい?一見コンクリート造りの建物のような構えであるが、実は木造タイル張りで、当時からこのような造りになっていたそうで、中は和洋折衷の木造建築である。
旧豊田佐助邸のすぐ左隣りにある旧春田鉄次郎邸も大正期に造られており、もとは600坪くらいの敷地であったろうが、今は建物以外の庭スペースは別の建物が建っており、時代の変化に押し流されそうになっている。 二階の間取りなどは旧豊田佐助邸と似ている。
下の写真は両邸宅がある主税町の道路である。大きな邸宅やマンションが並んでいる。
雨が強くなり、白壁町の街並みを歩くことも難しくなってきたので、近くにあった堀美術館に入った。入館料1000円。なかなか立派な建物で、内容も期待以上であった。高名な画家の絵が多くあった。梅原龍三郎、藤田嗣治、三岸節子、東山魁夷、佐伯祐三、安井宗太郎、小磯良平、伊藤深水、その他数々。