米国人の創造力、開発力

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 私が始めてUnimateに触れ、特許などからその構造を調べた時は、EngelBerberらが最初のProgrammable Machineを作った時点から既に20年経っていた。ようやくUnimateは役に立つという評価が定着した時期であった。この20年の間に彼等がどのくらいの数の困難を解決せねばならなかったか想像に余りある。というのは、Unimateのような性能仕様を要求する機械は開発当初にはまだ世の中に無かったからである。産業用ロボットに要求される性能は負荷重量20kg、作業空間は1から2m四方、搬送速度は1から2m毎秒、位置決め精度は±0.5mm、10cm移動位置決め時間は1から2秒、運転継続時間は1日24時間連続で数ヶ月から1年間というようなものである。このような要求性能は現在では達成されているが、当時にしてはとんでもない高性能な要求であった。それも劣悪な工場環境という場での運転である。当時は現在の主流である大電力電気サーボはまったく存在せず、使えるのは油圧サーボしかなかった。油圧サーボでさえ、利用分野は航空機の翼制御などであり、それは人間が操作するサーボであり、運転時間も連続数時間である。産業用ロボットのように数ヶ月も無人で連続運転するような厳しい条件ではない。このような難題を、従来の比例型電気油圧サーボではなく、非線形型の電気油圧サーボとデジタル電子回路の組み合わせて実現したのである。

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このページは、essahoiが2006年2月24日 02:14に書いたブログ記事です。

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