iPadの限界

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 iPadやiPhoneの評判が高い。わたしもテレビなどでiPadがどのようなものかを少しは理解できたような気がする。このような端末があったらいいなと誰もが思い描いたものができてきた。いつもながら、スティーブ・ジョブズさんの製品設計に対するセンスの良さには脱帽だ。

 操作性のよさは注目に値する。アプリケーションの起動時間の短さなどは驚異的だ。パソコンで起動時間の長さにうんざりしていたユーザには目の前が明るくなった気がするだろう。これこそがiPad、iPhoneの核心技術だ。最近までに達成されてきた通信技術、ディスプレイ技術、メモリ技術、画像処理技術などの先端をバランスよく組み合わせて高速性を実現している。コンピュータというものの特性と限界を知り抜いている人間のデザインだ。

 しかし一方、iPadの限界も見えてきた気がする。iPadの創り方はかってのマッキントッシュの延長線上にとどまっている。コンピュータの使いやすさを高度化しただけだ。 一方、日本のケータイは道具として、人間の能力拡張手段として進化してきている。設計思想が違うのだ。たとえば、お財布、定期券、QRコード認識、カメラ技術などはソフトウェアだけではなく、ハードウェア技術がないと作れないものだ。このような道具としての付加価値を追求するというやり方も将来性は十分にある。iPhoneも面白いが、日本のケータイも十分に戦える。

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このページは、essahoiが2010年5月30日 12:42に書いたブログ記事です。

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