日本の住宅の物理的な耐用年数、即ち寿命は全国平均で約40年前後というデータがあり、また住宅への投資や建て替えの周期は23~30年程度という研究結果がある。欧米の住宅への投資や建て替えの周期は80年から140年というデータがあり、これと比較すると、日本の場合は極端に短い(参考:日本建築学界 「地球環境問題への建築学会としての取り組みと展望」)。 このために欧米では一度家を作れば子供から孫の代まで住み続けられるのに、日本では一生の間に最低一度は家を建てねばならない。住宅への出費が大きな負担になり、生活の質を高める他の部分への出費ができないという問題点がある。具体的には、スウェーデンでは多くの人がセカンドハウスやヨットを持楽しんでいるのに日本では稀である。
我が家もまったく同様なことになっている。建築後33年になるが、17年目に一部リフォームしたにもかかわらずいろいろな要因で、建て替えを考えなければならない状況になっている。33年間のいろいろな時点で生活環境の変化に合わせて、リフォームを含めて家に投資をしてきたため、使い勝手の良い家になってはいるが、その後耐震基準が見直され、33年前の基準では震度5強(東海沖地震で名古屋地域に予想される震度)では補強しなければ倒壊する可能性も出てきた。また断熱特性が悪いので空調費用も多く、冬には寒い脱衣室やトイレでのヒートショックの危険も出てきた。
なぜこのようなことになってしまったのか?日本の文明度が低かったことに尽きるのだと思う。33年前に日本が経済大国になりつつあるときに、国の持ち家政策にそって私を含めて若者が家を作ったが、資金的余裕もなく、高性能住宅に対する工務店の知識も低く、質の低い家を作ることになってしまったのだ。これからは100年使える家を作り、住宅市場で自宅が高い資産価値を維持できることが目標になる。
2006年1月アーカイブ
がんは長年の研究努力にもかかわらず、ここ5年くらいは死亡率が低下していないという中々手ごわい病気だ。脳梗塞や心筋梗塞は病気が発症しても、何とか完治できるケースが多いように感ずる。一方、がんは罹患しても自覚症状が無い場合が多く、(1年から2年後に)症状が出たときには進行がんになっていて、治療不可能というケースがしばしば発生する。このためわれわれは年に一度は人間ドックに入って検査を受け、完治の可能性が高い早期がんのうちに治療が開始できるように用心している。なにせ、日本人の二人のうち一人が一生のうち一度はがんに罹っている時代だ(参考文献:愛知県がんセンターNEWS 第2号、平成14年1月1日発行、大野龍三)。しかし、ここに問題が隠れている。特に人間ドック専門機関は受診者が選定した検査しかしない。定番の半日検査コースというのが一般的で、多くの人はこれを毎年受けている。このようながん検診を受けていたのにがんで死んだ人の例を知っている。受診者はがん検診を受けているからと安心してしまい、実は検査を受けていない部分でがんの発症の可能性があることを忘れてしまいがちである。これがかえって早期がんの発見を遅らせていることになっていないか?小生の場合は前立腺のPSA値が危険範囲に入りかけていたのに気がつかなかったし(幸いにも前立腺がんではなかったが)、大腸炎になって初めて大腸のレントゲン検査を一度も受けていないことに気がついた。半日コースではPSA値の測定と大腸レントゲンは検査項目に入っていなかったためである。大腸がんは3大がん(胃がん、肺がん、大腸がん)のひとつであるのに、半日コースでは便の潜血検査しかしない。しかし、潜血検査でも検出できない大腸がんは全体の3割もあるそうだ。このような知識を人間ドックでは教えてくれないのは問題だ。
Voice(雑誌)の2006年2月号でリチャード・クーさんが言っていることにまったく同感だ。日本人は感性豊かで繊細な美意識を持つ民族で、歴史的にも世界的な美術工芸品を育ててきたと自慢する向きがある。それならば、欧米の町並みのきれいさと現在の日本のそれを比べてみてほしい。日本の町並みの多くが繊細な美意識を持った民族ならば造るはずの無い、雑然としたコンクリートジャングルである。いったいどうなっているのか?私はその根源の一端は腰の重い(抵抗勢力的な)役人にあるのではないかと考えている。例えば電柱と電線が織り成す、美意識のかけらもない蜘蛛の巣のような電線工事をどう見るか?よくもこんな汚らしい工事ができるものかと、私も技術者の端くれとして、それをやらせた技術監督者のセンスが腹立たしい。その他、美意識にかけらも無い看板のデザイン、色など、これもひどいものが多い。看板屋はデザインの勉強をしたことが無いのか?このために、いくらきれいなビルを作っても、家を建てても町の見栄えは台無しになってしまう。それを放置していたのは役人だ。だから、みんなで協力して町並みをきれいにしようという運動が市民の間にも生まれてこない。自分の都合だけで適当に建ててしまえという寒々しい気持ちになってしまう。このような町並みが子供たちの精神構造に大きな影響を与えないわけは無い。今すぐに、われわれは十分に反省して町並みを作り直す行動を始めなければならない。