地球の温暖化と大気中のCo2濃度の増大が相関関係にあることにはデータで裏付けられている。しかし地球温暖化の原因が人類が放出しているCo2だとする説には異説(少数派)もあるようだ。地球の温暖化は太陽の黒点の活動の活性化などが原因であって、人類が放出するCo2が原因ではないとする説である。気温上昇の結果、海洋や地面からCo2が放出されて大気中のCo2の濃度が増大していると主張する。原因と結果が入れ替わっている。
これが正しいとすると、莫大な設備投資をして石炭火力発電所が発生するCo2を固定し埋設するというような作業がまったく無意味になってしまう。また京都議定書が国際的に義務化しようとしているCo2の発生量の削減という政策自体も無意味になってしまう。
科学者たちの大部分は温暖化は人類の放出するCo2ガスが原因だといっているようだが、反対者たちは納得していない。人類が放出するCo2が地球温暖化の元凶であると主張するのは、1)原子力発電の推進者たちであったり、2)アジア地域の物づくりパワーに遅れてしまって危機感を持つEUの為政者だったりするのだという利権要因説などもあるようだ。
どれが真実であるかは良くわからないところもあるが、固定観念にとらわれるのではなく一刻も早い真実の究明が期待される。
2007年2月アーカイブ
クリント・イーストウッド監督(ワーナー・ブラザーズ映画、ドリームワークス・ピクチャーズ)の「硫黄島からの手紙」を観てきた。戦争を戦った日本人個人の心に視点を置いた映画であり、素直に描かれているという印象だ。2万人以上の日本兵が死んだ戦い自体のスケール、緊張感、残酷さの描写は、とても描ききれてはいないと思ったが、そこにこの映画の視点はない。米国留学経験があり個人的に米国に愛着と尊敬を持っていた栗林中将がその米国との殺し合いの先頭に立たなければならなくなる。何故こんなことになってしまったのか?それを考えさせられる映画だった。
観ていて強く感じたのは、現在でも国民の一人ひとりがよほど注意していないと再び同じことが繰り返されるに違いないということ。日頃の自分自身の言動にも注意し、マスコミ人、企業人、政治家の言動によほど注意して批判してゆかないと、世の中というものがまた個人をそのような残酷な流れの中に巻き込んで行く。
ゴア元米国副大統領が展開している地球温暖化防止運動のための映画を観た。今までテレビや新聞で報道されている実態をデータを基に講義するというもので、内容的には新しさは無いが、これだけの事実を前にして何故、人類は危険を回避する行動をとらないのか?というゴア氏が感じるもどかしさが伝わってくる。
ゴア氏はわれわれ個人も含めていろいろな省エネルギーの実行やエコエネルギー(太陽光発電など)の生産を呼びかけている。これらは当然やるべきだが、このようなレベルでは間に合わないのではないかと感じる。人々は高度エネルギ消費社会の快適性をなかなか手放さないだろう。省エネではなくて、エネルギを豊かに使えるが、温暖化にはならないような路を探る必要がある。
既にいろいろ考えられている。発生するCo2(電力業界、セメント業界、鉄鋼業界、製造業界などすべて)を吸収・固定して海底に沈めるとか、地中に埋めるとか、・・・現状では一番現実的で効果のある方法かもしれない。これは短期の効果を求めるために早急にやるべきことだろう。中長期的には別の方法、具体的には水素社会への転換を早く開始すべきではないのか(注1)。それを今までの計画よりもっと急いで、かつ強力にやる必要がある。定常的な電力消費は原子力発電で、変動電力消費への対応やその他のエネルギ消費は貯蔵可能な水素エネルギでというようになるのではないか。原子力の力を借りれば水素の大量生産も可能らしい。原子力利用の安全性については人類の英知を結集して高めるしかない。(注2)
注1:最近は水素エネルギー利用社会への熱意は技術の困難さの高さのために減退しているらしい。しかし、あまり理想を言い過ぎているのではないか?たとえば燃料電池車が直ぐには実用にならないのなら、技術が比較的容易な水素とガソリン両用のハイブリッド車でスタートするのも良い。
注2:(追記)長期的には再生可能な自然エネルギ利用が中心になるべきであろう。原子力はそれまでの繋ぎと考えた方がよいと思われる。