手順主義の弊害

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 パソコンは簡単な機械ではない。
 パーソナルコンピュータと呼んで一般のユーザに売っているが、複雑怪奇な中身はすべて隠してメールやインターネットやオフィスソフトを使わせている。小学生でもホームページを自ら制作できるようになってきた。指示手順どうりにやればコンピュータのことなど知らなくても、ゲーム機を操作するようにパソコンが使えるようになってきている。

 しかし、パソコンは一般ユーザにもっと深いところまでやれる門を開けている。
 これが曲者だ。ここから先は相当な知識を持っていないと使いこなせない。間違って使うとシステムを壊してしまい、リカバリするしかなくなる。

 ユーザをそこまで入らせないために、本屋に行けばいわゆる「使い方の手順」を書いた「・・・の使い方」の本が並んでいる。だが、手順にしたがってやっているだけでは、如何に長期間パソコンを使っていてもパソコンは理解できない。エキスパートにはなれない。手順はアプリケーションソフトのバージョンアップなどの機会に設計者の都合(気分?)で簡単に変えられてしまうからである。それまで苦労して覚えた手順などはまったくの無価値になってしまう。

 しかし、パソコンの基本知識さえ持っていれば非常に興味深い世界が開けている。
 一般の人に売るパソコンに非常に深い情報処理への門を開けているのはビル・ゲイツの心意気などだろう。彼自身がパソコン少年であったから。パソコン少年のビル・ゲーツはアッセンブリ言語を駆使してソフトを作って売って、それを契機として現在のWindowsまで発展させた。

 日本の少年少女にもそのようなことができる環境がパソコンの中に開けている。しかし、本屋に並んでいる手順書ではとてもパソコンの面白さを理解しないだろう。むしろパソコン嫌いを作っているかもしれない。

 もっと、手順ではなくてパソコンのソフトウエアの構造や設計思想を見せて興味を高めるような書物はないものであろうか?専門書はあるが高度すぎたり、細かすぎる説明についてゆけない。もう少し大雑把でも良いが基本はしっかりと書いてあるようなパソコンの勉強本はないものか?マイクロソフト自身がやるのが一番適任なのだが、何故かやっていない。


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このページは、essahoiが2004年7月22日 17:55に書いたブログ記事です。

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