2006年2月アーカイブ

 産業用ロボットには、数mの動作領域内で、数10kgのペイロード持って、高加減速度(1G)で発進、停止する動作を長時間(数万時間)繰り返しても高い停止位置精度(1mm以内)を維持することが要求される。最高速度は毎秒1から2mに達する。
 こような要求性能は40年前の普通の技術レベルでは達成は不可能であった。ユニメートの技術者はそれをデジタル技術などの新技術で克服し、産業用ロボットを実用化した。
 現在のように、高出力電気サーボ用の高電流スイッチングトランジスタも低価格なコンピュータも無かった状況下で、彼らが当時採用したシステムの構造は、

 1)デジタル電子制御回路を採用(最初は真空管が使われた)
 2)位置センサには、アブソリュートデジタルエンコーダを採用(Engelbergerらが自ら開発した)
 3)位置データ、制御データの記憶にはドラムメモリを使用
 4)電気油圧サーボ系を採用し、サーボ弁には非線形な流量特性を持たせた。

 産業用ロボットの生命線である停止位置の再現精度の高さは、上記1)、2)、3)のデジタル技術と4)の技術を組み合わせて初めて可能になった。つまりデジタル制御技術が産業ロボット実現のキーであったといえる。デジタル技術は当時出現しつつあった数値制御工作機械(NC工作機械)の技術を参考にしたと思われる。
 またロボット必須機能である、「2点間を最短時間で移動する」性能を実現するために油圧サーボ弁に検討が加えられた。すなわち、通常のように入力信号に対して比例した流量を流すのではなく、その二乗に比例する流量を流すよう工夫した(注1)。これにより一定の減速度で減速でき、急減速でも振動を発生しないようにできた。さらに弁には入力信号がゼロの近傍で出力流量が無い部分(=不感帯)が設け、位置決め完了後に位置のドリフトが起きないように工夫した。つまり加速、定速移動、減速後、目標位置の数ビット前でクリーピング(低速移動)に移行し、一致したら不感帯部分で流量をシャットダウン(ON-OFF制御)して停止する。これらがデジタル電子回路で制御され、高い位置精度を実現できた。

 注1:入力信号の二乗に比例する流量特性を持つサーボ弁とは
   流量を制御するサーボ弁のスリーブのオリフィス形状が比例型サーボ弁のように矩形(サーボ偏差に比例してオリフィスの面積が増加する)ではなく、末広がりの三角形状(サーボ偏差の二乗に比例してオリフィスの面積=流量=速度が変化する)になっている。また、スリーブのオリフィスには不感帯が作られており、サーボ偏差(注2)が一定値以下になるとオリフィスを完全ブロックするので位置がドリフト(時間とともにずれてゆく)することは無くなる。

 注2:サーボ偏差とは
   サーボ偏差≒位置偏差=目標位置-現在位置

  
 

 私が始めてUnimateに触れ、特許などからその構造を調べた時は、EngelBerberらが最初のProgrammable Machineを作った時点から既に20年経っていた。ようやくUnimateは役に立つという評価が定着した時期であった。この20年の間に彼等がどのくらいの数の困難を解決せねばならなかったか想像に余りある。というのは、Unimateのような性能仕様を要求する機械は開発当初にはまだ世の中に無かったからである。産業用ロボットに要求される性能は負荷重量20kg、作業空間は1から2m四方、搬送速度は1から2m毎秒、位置決め精度は±0.5mm、10cm移動位置決め時間は1から2秒、運転継続時間は1日24時間連続で数ヶ月から1年間というようなものである。このような要求性能は現在では達成されているが、当時にしてはとんでもない高性能な要求であった。それも劣悪な工場環境という場での運転である。当時は現在の主流である大電力電気サーボはまったく存在せず、使えるのは油圧サーボしかなかった。油圧サーボでさえ、利用分野は航空機の翼制御などであり、それは人間が操作するサーボであり、運転時間も連続数時間である。産業用ロボットのように数ヶ月も無人で連続運転するような厳しい条件ではない。このような難題を、従来の比例型電気油圧サーボではなく、非線形型の電気油圧サーボとデジタル電子回路の組み合わせて実現したのである。

 トヨタ自動車ではホワイトボデー組み立てのためのスポット溶接設備としてユニメート2000(Unimate2000)が使われ始めていた。ボデー組み立て工場へ行くと、多数の屈強な男子工員が天井から吊るされた大型のスポット溶接ガンを操ってホワイトボデーの溶接を行っている脇で、溶接ガンをアームの先に取り付けた数台のユニメート2000が溶接を行っていた。数年後(1979年)に米国でのロボット利用状況を見学に行ったときには、アルミダイキャストの取り出しにも使われていた。アルミダイキャストの離形剤でどろどろになったユニメートがダイキャストマシンの横で腕を振り回していた。このような様子を見て、産業用ロボットは危険で汚くきつい作業を人間の代わりにやってくれる機械だと感じた。
 このような機械の必要性をイメージしてそれを現実化したアメリカ人の発明魂と理工学的能力の高さに感動したことを覚えている。ただし、トヨタ自動車がユニメートを導入した当時では、この機械の信頼性はまだ低くMTBF(トラブルなしで持続できる運転時間の平均)は500時間程度であり、とても実用的とはいえなかった(注1)。トヨタ自動車などのボデーメーカがロボットメーカ(ユニメートの日本製造メーカ)と協力して改良を重ね現在MTBFは10万時間程度になっている。

 注1:たとえば、200台のロボットを使う場合、MTBF=10万時間では500時間に1台が故障することになる。

 私が産業用ロボットの川崎ユニメート2000に初めて触ったのは1972年(34年前)であった。この時点で、GMなどの米国の自動車メーカは既にユニメートをボデー組み立て用のスポット溶接機として使っていた。トヨタ自動車もボデー組み立て用として使い始めていた。ユニメートは大量に使われた最初の産業用ロボットであった。当時の最先端の電子機械であり、今から見ても大変に興味深い構造を持っていた。コンピュータこそ使われてはいなかったがデジタル電子回路が高度な多軸油圧制御回路を制御していた。現在の産業用ロボットが持つ基本的な機能は既に備わっていた。しかしこの時点で既に、George DevolがPlayback devise for controlling machines using magnetic recordingの特許をとってから28年、George DevolとJoseph Engelberger(Father of Roboticsと呼ばれている)とが最初のProgrammable robot "arm"を設計してから20年経っている。(参考:Timeline of Robotics part2)。新しい概念の機械が世に出るまでいかに長い時間がかかることか、それをやり遂げたユニメートの発明者Engerlbergerに脱帽である。


写真はユニメート2000(5軸)

 人間型ロボットを研究対象にすることも日本の経営者の決断であったが、ソニーの場合は挫折したわけだ。今後、ホンダ、トヨタはどう出るか?
 一般の人(しばしば、研究者も経営者も)は人間型のロボットが歩いたり話したりすると、ロボットが完成に近いと思ってしまうが、そうではなく、二足歩行機械や話し言葉の発生器ができたに過ぎないことが理解できなくて、だまされてしまうのだ。産業用ロボットの父(Father of Robotics)と呼ばれ、ユニメートという産業用ロボットの設計者であり、産業用ロボットを始めて商業的に成功させたJoseph Engelberger氏が人間型ロボットの最大の批判者であるということも一般の人々は知らない(参考:梅谷陽二、ロボットの研究者は現代のからくり師か、p.102)。人間型ロボットの研究者はそれが役に立つ姿を世に提案し、評価を受けてほしい。役に立たないロボットは淘汰されてしまうのだ。これが現実である。役に立ってこそ、研究資金が提供されロボットが進化してゆくという原理を忘れてはならない。
 マウンターと呼ばれる機械がある。これは電子部品を人の数十倍の速さで基盤に組みつけてゆく機械であるが、これはコンピュータや情報家電を大きく進化させた立役者といっても言いすぎでない。これがロボットであることに多くの人は気がつかない。人間の形をしていないからだ。しかし、その生産額は日本のロボット生産額の半分ほどを占めているのいるのである。

写真は日立ハイテク製の高速チップマウンター
(日立ハイテク社のホームページから引用)


 ソニーはエンターテインメント・ロボット「QRIO」の新規開発の停止を決定した。これで,2005年度末に生産を終える「AIBO」と併せ,ソニーはエンターテインメント・ロボットの開発から完全に撤退する。ただし,QRIOおよびAIBOの開発で培った人工知能の研究は続行する。将来は民生機器に応用したい考えという。(以上は日経エレクトロニクス2006.2.13から引用)
 企業本体の経営状況が悪くなると、ロボットメーカで無い企業(たとえばソニー)での開発研究の場合にはロボット開発はいつもリストラの対象になる。ソニーに限らずにどのメーカでもそのような傾向がある。ロボット開発の歴史はこのようなリストラの繰り返しであった。何故そうなるか?役に立つロボットを作るという困難さが開発者と経営者の意欲をそいでしまう。または開発者に意欲があっても「研究の選択と集中」の原理で研究資源(人材、研究費)を経営者がより必要と思う分野に振り替えてしまう。将来再び新しい技術の出現などで役に立つものができそうなときには再開すればよいという考えである。問題は、将来それまでの研究の蓄積が伝承されるのかという不安がある。研究者が年齢的に代替わりしてしまうからである。

写真はソニーのQRIOサイトから引用

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