2006年3月アーカイブ

 スポット溶接、アーク溶接などの用途には6軸多関節型のロボットが受け入れられたが、それ以外のロードアンロード用や組み立て用になると、6軸型が必要か?オーバクオリティではないか?という疑問が多く出された。そのために、2軸、3軸などいろいろな軸数や色々な関節形状(スライド関節、回転関節)を持った特殊ロボットが用途別にたくさん設計された。しかし、仕事に最適な形状とは言え、特殊な自動機をその都度、設計、製作することは、設備準備期間、設備価格、信頼性、使い勝手の面で不利なことが明らかになってきた。結果的に、3軸または4軸の水平多関節型(スカラ型)と5軸または6軸の垂直多関節型が残った。電機産業での組立作業や食品産業などでのロードアンロード(またはピックアンドプレース)用途には水平多関節型の4軸機が多く使われている。

写真は水平多関節型4軸ロボット

 それでは垂直多関節型6軸機は組み立て用途には使われなくなったかというそうでもなく、特に自動車部品組み立ての分野では意外に多く使われている。治具などの周辺装置の垂直精度が多少低くても、6軸機ならばロボット側で調整できるので、設備製造コスト、準備時間が短縮できるという利点が評価されたためと思われる。

 PUMAの原型であるVicArmの設計者であるVicter Sheinmanが協同出資者となって1980年に設立したAutomation機器の製造販売会社がAutomatix社である。主要な製品はAutovisionというMachine Vision Systemとそれを組み込んだロボットシステム(例:視覚補正機能を持ったアーク溶接ロボット)などであった。Railというスクリプト言語を持っており、画像認識プログラムをユーザが書くことができた(注1)。Autovisionは当時の価格で1500万円もする高価な製品であった。

写真:Autovisionを使った部品組み付けロボット

 部品認識用のビジョンシステムはロボットを凌駕する大きな市場を創出するかと思われたが、極言すればリミットスイッチなどのセンサと同程度の役目しか果たせていないので、ロボットに比べても小さな市場規模しか形成できていない。Autovision程度の性能の製品ならば、現在では20万円以下で売られているのではないか。

 1982年頃までには、PUMAも改良されてだいぶスマートな外観になった。日本でも実際の製造ラインに導入され使われた。モータがブラッシ整流方式の直流モータであったので、定期的なメンテナンスが必要であった。また、角度センサはインクリメンタル方式のエンコーダであったので、起動時にゼロイングという原点復帰動作が不可欠であり使い難かった。(現在のロボットではエンコーダはアブソリュートエンコーダ、モータはブラッシレスDCサーボモータとなっている。)
 現在ではUnimation社は売却されPUMAの製造はWestinghouse社を経て1989年に
Staubli Robotics社(本社はスイス)に移っている。数多くのバリエーションを持つロボットに育っているようだ。

 United Technorogies社はフォーチュン500社にはいる大企業。軍用機器(航空機、宇宙機器)や建築用機器など広い商品分野を持つ。


 Bendix社はかっては自動車用ブレーキ、燃料噴射機器、レーダー機器、ミニコンピュータなどを作っていた会社。現在は?


 Westinghouse Electric Corp. 電気製品製造会社。原子炉の製造会社でもある。


 General Electric社は巨大な電機製造、サービス会社。Forbes Global 2000 によれば世界で2番目に大きな会社。


 Cincinnati Milacron社は工作機械メーカである。企業では初めて座標変換機能を持ったロボット(油圧駆動方式)を開発して、GMと共同でConsightという視覚によるコンベアトラッキングシステムを実現した会社であった。その後、電動型ロボットを開発し現在でも製造販売しているようだ


 IBMはコンピュータで生産システムを制御するビジネスをやっていた。ロボットも内製(直交型)、外部調達(スカラ型)して販売していた。6軸直交型ロボットは超音波センサフィードバックを利用して電気部品の組み立てに適用していた。


 1977年にPUMAが発表された後、米国の大企業を中心に、いろいろな企業が産業用ロボットの開発を進めた。1982年3月1~4日に米国のロボットシンポジウムROBOTS ⅥがデトロイトのCOBO HALLで開催され、同時に開催されたオートメーション機器展で米国製の産業用ロボットが数多く展示された。この展示会を見学したときに撮った主な写真をここに掲載する。これらのロボットを造った大企業は数年後にはほとんどがロボット製造・販売から撤退してしまった(注1)。撤退した原因は売れなかったことだろう。米国企業の機器開発に関する底力と変わり身の早さ感じる。
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 注1:2006年現在、米国の唯一の産業用ロボットメーカは Adept Tecnology Inc.と思われる。経営陣には1970年代にStanford大学で計算機制御アームによる機械組み立ての研究(PUMAロボットもこの研究をベースにしている)をしていたCarlisleやShimanoがいる。新技術の開発に意欲的で、技術力はトップクラス。近年では長期間の研究の後で、AnyFeederと呼ぶ「視覚支援型のパーツフィーダ」を製品化した。
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写真はCOBO HALL (Wikipedia,the free encyclopediaから借用)

 当時、デトロイト市はGMやFordなどの米国自動車が日本車におされて、不景気のどん底にあり、商店街なども荒れ果てていたことを覚えている(朝日新聞によれば2006年現在もデトロイト市は再びそのような状況になっているらしい)。
 デトロイト市は自動車産業に加えてロボット産業を振興させて、経済を立て直したいと思ったらしい。ROBOTS Ⅵなどを積極的に誘致していた。しかし、デトロイト市の思うようにはならなかった。PUMAのような高能力のロボットが出現しても、それをうまく使って利益を出すのは中々難しかった。つまり産業用ロボットビジネスはなかなか難しいビジネスだった。

 世界で最初に電動式のロボットを発売したのはスエーデンのASEA社(現在のABB社)であり、1973年のことだった。日本では1974年に安川電機が電動型のアーク溶接ロボットを開発した。ASEAロボットをお手本に、写真のアーク溶接用電動ロボット(5軸)Motoman L-10 を発売したのは1977年であった。

 当時は国産では数100ワットクラスの直流サーボモータやサーボドライバーは入手しがたく、NC工作機械も電気油圧パルスモータが主流であった。ファナックは一時期、高出力の電気パルスモータを電気油圧パルスモータに代わって商品化しようとしたが、騒音が大きく断念し、米国の直流サーボモータ技術を導入するなど、あわただしい変化が起こっていた。最初のMotomanは8ビットマイクロコンピュータで制御されており、座標変換機能などはまだ持っていなかった。

PUMAの特徴

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 PUMAは組立作業のロボット化を可能にするために、開発の狙いを「小型化、使いやすさ」に定めたロボットであった。

 1)小型化(軽量化)
  それまでのロボット(例、Unimate 2000)は人の大きさに比べれば大型で、質量も1トン近くあり、GMが要望するような人と隣りあわせで作業ができる設備ではなかった。そこでPUMAでは大きさをほぼ人の腕並にし、質量も一挙に55kgまで軽量化した。駆動モータは電動(出力50~100wの直流モータ、アナログアンプで駆動)とし、最大可搬質量は2.5kg、移動速度は高速(1m/sec)なので、まだまだ人が隣りあわせで作業ができるほど安全にはなっていない。しかし、Unimate 2000のように人を押しつぶして圧死させるというような危険はなくなり、安全性は向上した。また、小型化により軽量化し、必要電力も低く(1.5KVA)なり、低価格で製造できるようになった。

 2)使い易さ
 初めて16ビットマイクロコンピュータ(LSI-11/2・・・注1)が使われたロボットである。関節角度座標と実世界座標との間の順逆座標変換機能(注2)、プログラミング言語VAL(Variable Automation Language)などをはじめとして多くの機能がソフトウェアで実現された。これにより制御装置が低価格にできたと同時に使いやすくなった。PUMAはその後各社から発売された産業用ロボットの基本形を完成させたといってよい。

 注1:LSI-11/2はDigital Equipment Corporation(Dec)製のマイクロコンピュータで1975年ごろに商品化された。PDP-11ミニコンピュータをLSI化したLSI-11マイクロプロセッサを実装している。浮動小数点演算命令も用意されていたので、複雑な座標変換計算が実時間で可能になり、多関節ロボットを直交座標系で動かすことを可能にした。RT-11というリアルタイム・オペレーティングシステムも用意されていたので、ソフトウエア設計がきれいにできた。PUMAもRT-11を使っていたと思われる。

 注2:順変換とは関節角度座標値(θ1、・・・θ6)→ 実世界座標値(OT)
    逆変換とは実世界座標値(OT)→ 関節角度座標値(θ1、・・・θ6)
    実世界座標系にはワールド座標系、ツール座標系、部品座標系、カメラ座標系などがある。

 

 3)発展性
 種々の直交座標系で、位置姿勢決めや移動命令を出すことができるようになったので、CCDカメラを使って作業対象の位置姿勢を計測して把持するような適応動作が可能になった。また、作業対象部品のCAD(Computer Aided Design)データが利用できれば、ロボットの教示作業を省力できる可能性が出てきた。

 1977年にGMの生産技術研究所(GMMD:General Motors Manufacturing Development)は自動車部品の組み立ての自動化に使うロボットの開発を公募した。その仕様はPUMA(Programmable Universal Machine for Assembly)としてまとめられていた。Unimation社はStanford大学計算機科学部研究員のVictor Sheinman(VicArm Incを作ってVicArmを研究用として販売していた)を雇って、Unimation West社で開発に当たらせ、Unimationの本社でGM向けに製造した。 
 PUMAの仕様とは、
 1)関節型のロボットである。
 2)人間の腕と等価(同じサイズ)である。
 3)人間との混在が可能である。
  (人間と触れても危険性が少ない低出力機を目指していたが、実際には最大可搬加重2.5Kgを持って最高速度1m/secで作業者に衝突すれば、作業者を殺傷するパワーを持っていた。この仕様は、達成されなかった。作業の高速化と衝突安全性は両立していない。ロボットは安全柵内部で運転されている。)
 4)段階的合理化が可能である。
 5)ロボット故障時は人間でバックアップできる。

注1:IRON AGE,Nov.28,1977. ONE BIG STEP FOR "ASSEMBLY IN THE SKY"

写真:Unimationから発売当初のPUMA(5軸型)(参照:ROBOTS IN INDUSTRY Vol.5,No.3 Fall 1978)、VicArmがその原型となっている。コントローラの上にアームが設置され、両者が一体化されている。ロボット故障時にコントローラも含めて交換される。交換された機械にプログラムとデータを入れ替えれば直ちに利用可能な状態になる「ロボットの互換性」が追及された。

図:PUMAの使われ方の概念図(GMの仕様)(参照:IronAge November 28,1977,One Big Step for "Assembly in the Sky")。ロボットアームとコントローラが一体化されている。


写真:Stanford大学コンピュータサイエンス学科のVictor Sheiman氏が人工知能研究用に設計した電動型ロボットアームVicArm。PUMAのベースになった。

 GMやFordなどの自動車メーカはスポット溶接や塗装作業の次のロボットの応用分野として、機械組み立て分野を考えていた。この分野のロボット化の困難さは後ほど思い知らされるわけだが、自動車製造工場の中での組み立て作業に従事する作業員の数は最も多く、ロボットによる自動化の効果は大きいように予想できた。また、多くの大学(例:Stanford大学)や研究機関(MIT,Chaies Stark Labs )でロボットによる機械部品組み立ての研究がなされていた。
 Unimation社(Unimateの製造会社)は、1979年代後半にFord Motorと共同でトルコンのサブアッセンブリーであるC-6ガバナー(部品数は12~15)の組み立て研究に取り組んだ。この研究で彼らは組み立てロボットに要求される最重要の性能は組み立て速度だという結論に達した。そこで、Unimation社はミニコンピュータで制御される6軸油圧サーボ型組み立て用ロボットを開発し、サーボのバンド幅は50Hzでツール端の加減速度は±2G,位置再現性は±0.1mmの高性能を実現した。私もこのロボットの実物をUnimation社で見たことがあるが、ロボットの後部がカバーされていて、動物の「アルマジロ」のような格好をしていたのが印象に残っている。

写真:機械組み立て用に開発されたUnimation 6000の2台が協調してC-5ガバナーを組み立てている。実際に商品化・販売されることは無かった。(参照:Machine and production engineering. 22.March 1978,Much to leran about robot)

 2台でC-5ガバナーを組み付けた結果は、組み立て所要時間が作業者の場合(一人)が46秒であるのに対し、31秒であった。このロボットは結局、実用化されなかったが、その理由はUnimation6000の価格が高すぎたためと思われる。作業者がガバナーを組み立てる場合の費用に対して、2台のUnimate6000がガバナーを組み立てる費用が高すぎ、また将来的に価格が下がらないとの判断があったのだろう。これ以降Unimation社は、ロボットの低価格化を目指して小型軽量の電動型ロボットの開発に方向転換する。

写真:Unimate6000の構造

GM製NC Painter

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 GMが1980年ごろに内製した7軸の油圧駆動型塗装専用ロボット。Digital Equipment PDP 11/34コンピュータ(16ビット演算)で数値制御されていた。手先にある塗装ガンに塗料を供給する配管がアームの中に組み込まれており、外部に露出しないすっきりとした構造が特徴的であった。
 塗装ガンが曲線軌跡上を滑らかに移動できる軌跡制御や教示をオフラインでする、いわゆるオフラインティーチングなどが採用されており、自動車メーカの理想を追求した先進的なロボットであった。GMが自ら生産用のロボットを製造したことは、NC Painterが最初で最後であったが、GMの産業用ロボット利用への熱心さは世界の生産技術者たちを刺激し、その後、産業用ロボット利用研究が世界的に大いに進展した。しかし、ロボットのような高度な機械を信頼性高く製造し、性能を維持することは困難を極めた。工場の生産設備としてのロボットに要求される信頼性のレベルは短期の開発期間で達成できるレベルのものではない。NC Painter以降、GMはロボット開発と製造を専門ロボットメーカに任せることになる。

写真:2台のNC Painterが塗装ブースの中で、コンベアラインの両側に配置されている。ロボットは車のボデーの移動に追従して移動しながら塗装作業をする。(参照:The Industrial Robot Dec. 1981,Assembly and machine loading will dominate General Motors robotics programme) 

写真:NC painterは6個の回転軸と1個の直線移動軸(コンベアへ追従)を持つ。

 ユニメートロボットの成功に刺激されたのか、当時、工作機械の世界トップメーカであったシンシナチミラクロン社(米国)は1973年にT3(T3はThe Tomorrow Toolのアクロニム、開発者はRichard Hohn)というロボットを開発、発表した。コンピュータ(16ビットのミニコンピュータ)で制御された最初の市販ロボットではないかと思う(注1)。油圧駆動ということを除けば、現在のロボットと同程度の機能を持つものであった。ユニメートとは異なり、実世界の直交座標系で移動命令(直線移動制御、姿勢制御、移動物体追尾制御)を出すことができた。 GMMD(GMの生産技術研究所)はこのロボットとレンジファインダーという物体形状計測システムとを組み合わせて、Consightというコンベアトラッキングシステムを開発した(研究用)。コンベア上をランダムな姿勢で流れてくる複数種類部品の形状、位置、姿勢をレンジファインダーが計測、識別し、ロボットがその結果に基づいて部品を掴み、種類別にパレットに整列することができた。同様なシステムは現在では一般的に使われるようになったが、当時ではコンピュータ制御された産業用ロボットの大きな可能性を生産技術者に印象付けた。

 写真:GMのConsightロボットシステム(参照:Proceedings og 9th ISIR,1979,195)


  写真:Consightのレンジファインダーの原理


 注1:16ビットミニコンピュータ(浮動小数点演算ハートウェア付き)が使えるようになったため、サーボ系に滑らかな速度指令を出すことができた。初期のユニメートのような特殊なサーボシステムは不要になり、滑らかで高位置精度な動きが実現できるようになった。

 参考:ユニメートはコンピュータを持たなかったため、直交座標系での移動命令はできなかった。関節座標系(関節回転角度など)でロボットの位置姿勢が記憶され、移動命令は目標関節角度で与えられる。始点から終点(目標位置)までの各軸ごとの角度偏差に比例した目標速度が各関節サーボに与えられるので、各軸サーボの移動は同時にスタートし、ほぼ同時に目標値に到達する。したがって移動中の軌跡はほぼ直線的となる。

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