開発の歴史の最近のブログ記事

 Archimedesと同様な成果を目指した研究内容の論文例が他にも見つかった。

 1.A System for Automatic Planning,Evaluation and Execution of Assembly Sequences for Industrial Robots(U. Thomas ,他、University of Braunschweig,200X年)

 2.3次元CADデータ駆動型自律組立ロボットセルシステム(小島 他、リコー生産技術研究所、1998年)

 これらがその後、画期的な成果を挙げているという様子も見られないので、まだまだ実験室段階の成果と思われる。実際のラインで成果を出すには、まだまだ未解決な問題が多いと思われるが、企業は実用化に向けて熱心に取り組むべきと思う。現状では日本は欧米のレベルから相当に遅れているのではないか?このようなソフトウエアシステムの開発に関しては日本はまったく弱い。また欧米製のソフトウエアを使う羽目になるのかもしれない。小生の心配は杞憂で、日本の企業が既にしっかり取り組んでいることを願うのみ。

 組み立てたい製品のCADデータから組み立て用ロボットの動作を発生させるシステムがあれば、ロボット組立てセルを短期間で立ち上げられる可能性が出てくる。
 製品のCADデータから組立て順序を自動生成する研究開発について米国の事情を調べてみた。米国では「Archimedes
(アルキメデス)」というAutomated Assembly Abalysis ソフトウェアの開発が進んでいるようだ。1995年頃に米国のサンディア国立研究所(場所:アルバカーキ)が機械部品の組立て手順を自動生成するソフトウェアArchimedes 2 の論文を発表しているのは知っていた。それから10年以上の継続的研究の結果、相当使えるレベルにまで来ているようだ。現在はArchimedes 4 か? 電子制御箱などの組立て手順の解析結果がアニメーションで紹介されている。
 Archimedesは無数に存在する組立て順序の中から、ユーザが与える制約条件を満足する組立て順序を提案する。フレキシブル治具を使ってワークを固定する方法も提案できる。さらにハンド、ツール、治具の形状、組立てステーションの形状などを考慮に入れてロボットの動作を計算させることができる。
 ただし、Archimedesのようなシステムが実際に効果を発揮できるためには、前提条件として、部品や生産設備、ツールなどがCADのサーフェスモデル(またはソリッドモデル)で用意されること、およびCADデータから作られた実要素部品の寸法が所定の精度内に管理されていること、が必要である。
 そのような生産準備基盤を確立するのは容易なことではない。しかし、得られる効果を考えれば、優先して開発に取り組むべきテーマであると思う。

 参考:サンディア国立研究所にはISRC(Intelligent Systems & Robotics Center)があり、そこで研究が行われている。米国では国立研究所が中心になって研究開発を実施し、途中から民間企業と共同開発を進め、民間企業から商品として発売されるという例は多いようだ。

 生産設備準備のリードタイムを短縮するための研究には長い歴史がある。現在の産業用ロボットの原型であるVicArm(後にPumaロボットとしてUnimation社から発売)も、もとはといえば米国Stanford大学Computer Science Departmentの研究者たちが1970年当初に機械組立て作業の生産準備時間の短縮を目指して始めた"AL,A Programming Sysytem for Automation"の研究過程で生まれたものである。
 ALの成果は現在の市販ロボットの言語の原型となったVAL(Pumaロボットの言語)で結実した。しかし、ロボットの動作を明示的に記述するレベルの機能(ロボット指向プログラミング)しかないVAL、または対象物の動きを明示的に記述するレベルの機能にとどまっているALレベルの言語では生産準備のリードタイムを低減するのにわずかな効果しかない。

 自動車部品製造では過去20年以上ロボットによる組み立ての自動化を研究、実施してきている。製品寿命が比較的長いので、家電製品の最終組み立てラインのように撤去されてしまうことは無かった。
 カーエヤコンのロボット化組み立てラインに関してはデンソー(西尾工場)の例がある。このようなロボット化ラインが運用を継続できたのは、今までの経営環境の中でそれなりの存在価値を創造してきたためであろう。作業者では対応できないような多種、高頻度品番切換生産(生産の平準化対応)のもとで製品の品質保証を実現する。生産しながら新しい品番製品の投入や旧製品の削減の準備ができ、製品のライフサイクルに応じて、設備の生産能力を変更ができる。などの工夫がなされている。

写真:デンソー西尾工場のエヤコン組み立てロボットライン
(日経ビジネス2006.2.27から引用させていただきました)

  デンソーの場合、ラインはセルと呼ばれる組立てモジュールを複数台連結した構成になっており、一つのセルで複数部品が組みつけられる。セルはロボットや搬送装置、部品供給装置、PLCなどから構成されるモジュールで、ラインの生産量に応じてセルを追加、削除して生産量を調整できる。セルの追加または削除に応じて各セルで組立てられる部品数は減増される。

 スポット溶接、アーク溶接、塗装、ロードアンロード分野などへのロボット応用は自動車製造業を中心として進んだが、最も多く作業者が働いている組み立て分野への応用は、大きな期待(注1)に関らず進展は遅い。1980年代には家電製品の最終組付けラインへ多くの水平多関節型(スカラ型)ロボットが導入されたことがあったが、最近ではそれらの大部分が撤去されたと言われている。理由は家電製品の短命化が進んだために、製品の切り替えにロボットラインが対応できなくなったことである。短期にかつ低コストで新製品の組み立てに対応できた作業者を中心とした「セル型生産システム」に取って代わられてしまった。
 自動車製造工場でも1980年代後半に、最終組付けラインへロボットを導入しようといろいろ実験されたが、ロボットによる機械組み立て技術が未熟で、変種変量生産に対応できず、多くは撤去を余儀なくされている。

写真:ソニーでのロボットによる家電組み立てライン


写真:手作業が中心のセル型生産方式

注1:
 (米)スタンフォード大学コンピュータサイエンス学部では、1970年代に人工知能の研究の一環としてロボットによる機械組み立てが研究された。これら研究の中からPUMAなどのロボットの原型が作られた。それ以降、世界の研究機関でロボットによる組み立て研究がなされたが、実際の組立工場がロボット化されたという例は少い。

 スポット溶接、アーク溶接などの用途には6軸多関節型のロボットが受け入れられたが、それ以外のロードアンロード用や組み立て用になると、6軸型が必要か?オーバクオリティではないか?という疑問が多く出された。そのために、2軸、3軸などいろいろな軸数や色々な関節形状(スライド関節、回転関節)を持った特殊ロボットが用途別にたくさん設計された。しかし、仕事に最適な形状とは言え、特殊な自動機をその都度、設計、製作することは、設備準備期間、設備価格、信頼性、使い勝手の面で不利なことが明らかになってきた。結果的に、3軸または4軸の水平多関節型(スカラ型)と5軸または6軸の垂直多関節型が残った。電機産業での組立作業や食品産業などでのロードアンロード(またはピックアンドプレース)用途には水平多関節型の4軸機が多く使われている。

写真は水平多関節型4軸ロボット

 それでは垂直多関節型6軸機は組み立て用途には使われなくなったかというそうでもなく、特に自動車部品組み立ての分野では意外に多く使われている。治具などの周辺装置の垂直精度が多少低くても、6軸機ならばロボット側で調整できるので、設備製造コスト、準備時間が短縮できるという利点が評価されたためと思われる。

 PUMAの原型であるVicArmの設計者であるVicter Sheinmanが協同出資者となって1980年に設立したAutomation機器の製造販売会社がAutomatix社である。主要な製品はAutovisionというMachine Vision Systemとそれを組み込んだロボットシステム(例:視覚補正機能を持ったアーク溶接ロボット)などであった。Railというスクリプト言語を持っており、画像認識プログラムをユーザが書くことができた(注1)。Autovisionは当時の価格で1500万円もする高価な製品であった。

写真:Autovisionを使った部品組み付けロボット

 部品認識用のビジョンシステムはロボットを凌駕する大きな市場を創出するかと思われたが、極言すればリミットスイッチなどのセンサと同程度の役目しか果たせていないので、ロボットに比べても小さな市場規模しか形成できていない。Autovision程度の性能の製品ならば、現在では20万円以下で売られているのではないか。

 1982年頃までには、PUMAも改良されてだいぶスマートな外観になった。日本でも実際の製造ラインに導入され使われた。モータがブラッシ整流方式の直流モータであったので、定期的なメンテナンスが必要であった。また、角度センサはインクリメンタル方式のエンコーダであったので、起動時にゼロイングという原点復帰動作が不可欠であり使い難かった。(現在のロボットではエンコーダはアブソリュートエンコーダ、モータはブラッシレスDCサーボモータとなっている。)
 現在ではUnimation社は売却されPUMAの製造はWestinghouse社を経て1989年に
Staubli Robotics社(本社はスイス)に移っている。数多くのバリエーションを持つロボットに育っているようだ。

 United Technorogies社はフォーチュン500社にはいる大企業。軍用機器(航空機、宇宙機器)や建築用機器など広い商品分野を持つ。


 Bendix社はかっては自動車用ブレーキ、燃料噴射機器、レーダー機器、ミニコンピュータなどを作っていた会社。現在は?


 Westinghouse Electric Corp. 電気製品製造会社。原子炉の製造会社でもある。


 General Electric社は巨大な電機製造、サービス会社。Forbes Global 2000 によれば世界で2番目に大きな会社。


 Cincinnati Milacron社は工作機械メーカである。企業では初めて座標変換機能を持ったロボット(油圧駆動方式)を開発して、GMと共同でConsightという視覚によるコンベアトラッキングシステムを実現した会社であった。その後、電動型ロボットを開発し現在でも製造販売しているようだ


 IBMはコンピュータで生産システムを制御するビジネスをやっていた。ロボットも内製(直交型)、外部調達(スカラ型)して販売していた。6軸直交型ロボットは超音波センサフィードバックを利用して電気部品の組み立てに適用していた。


 1977年にPUMAが発表された後、米国の大企業を中心に、いろいろな企業が産業用ロボットの開発を進めた。1982年3月1~4日に米国のロボットシンポジウムROBOTS ⅥがデトロイトのCOBO HALLで開催され、同時に開催されたオートメーション機器展で米国製の産業用ロボットが数多く展示された。この展示会を見学したときに撮った主な写真をここに掲載する。これらのロボットを造った大企業は数年後にはほとんどがロボット製造・販売から撤退してしまった(注1)。撤退した原因は売れなかったことだろう。米国企業の機器開発に関する底力と変わり身の早さ感じる。
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 注1:2006年現在、米国の唯一の産業用ロボットメーカは Adept Tecnology Inc.と思われる。経営陣には1970年代にStanford大学で計算機制御アームによる機械組み立ての研究(PUMAロボットもこの研究をベースにしている)をしていたCarlisleやShimanoがいる。新技術の開発に意欲的で、技術力はトップクラス。近年では長期間の研究の後で、AnyFeederと呼ぶ「視覚支援型のパーツフィーダ」を製品化した。
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写真はCOBO HALL (Wikipedia,the free encyclopediaから借用)

 当時、デトロイト市はGMやFordなどの米国自動車が日本車におされて、不景気のどん底にあり、商店街なども荒れ果てていたことを覚えている(朝日新聞によれば2006年現在もデトロイト市は再びそのような状況になっているらしい)。
 デトロイト市は自動車産業に加えてロボット産業を振興させて、経済を立て直したいと思ったらしい。ROBOTS Ⅵなどを積極的に誘致していた。しかし、デトロイト市の思うようにはならなかった。PUMAのような高能力のロボットが出現しても、それをうまく使って利益を出すのは中々難しかった。つまり産業用ロボットビジネスはなかなか難しいビジネスだった。

 世界で最初に電動式のロボットを発売したのはスエーデンのASEA社(現在のABB社)であり、1973年のことだった。日本では1974年に安川電機が電動型のアーク溶接ロボットを開発した。ASEAロボットをお手本に、写真のアーク溶接用電動ロボット(5軸)Motoman L-10 を発売したのは1977年であった。

 当時は国産では数100ワットクラスの直流サーボモータやサーボドライバーは入手しがたく、NC工作機械も電気油圧パルスモータが主流であった。ファナックは一時期、高出力の電気パルスモータを電気油圧パルスモータに代わって商品化しようとしたが、騒音が大きく断念し、米国の直流サーボモータ技術を導入するなど、あわただしい変化が起こっていた。最初のMotomanは8ビットマイクロコンピュータで制御されており、座標変換機能などはまだ持っていなかった。

PUMAの特徴

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 PUMAは組立作業のロボット化を可能にするために、開発の狙いを「小型化、使いやすさ」に定めたロボットであった。

 1)小型化(軽量化)
  それまでのロボット(例、Unimate 2000)は人の大きさに比べれば大型で、質量も1トン近くあり、GMが要望するような人と隣りあわせで作業ができる設備ではなかった。そこでPUMAでは大きさをほぼ人の腕並にし、質量も一挙に55kgまで軽量化した。駆動モータは電動(出力50~100wの直流モータ、アナログアンプで駆動)とし、最大可搬質量は2.5kg、移動速度は高速(1m/sec)なので、まだまだ人が隣りあわせで作業ができるほど安全にはなっていない。しかし、Unimate 2000のように人を押しつぶして圧死させるというような危険はなくなり、安全性は向上した。また、小型化により軽量化し、必要電力も低く(1.5KVA)なり、低価格で製造できるようになった。

 2)使い易さ
 初めて16ビットマイクロコンピュータ(LSI-11/2・・・注1)が使われたロボットである。関節角度座標と実世界座標との間の順逆座標変換機能(注2)、プログラミング言語VAL(Variable Automation Language)などをはじめとして多くの機能がソフトウェアで実現された。これにより制御装置が低価格にできたと同時に使いやすくなった。PUMAはその後各社から発売された産業用ロボットの基本形を完成させたといってよい。

 注1:LSI-11/2はDigital Equipment Corporation(Dec)製のマイクロコンピュータで1975年ごろに商品化された。PDP-11ミニコンピュータをLSI化したLSI-11マイクロプロセッサを実装している。浮動小数点演算命令も用意されていたので、複雑な座標変換計算が実時間で可能になり、多関節ロボットを直交座標系で動かすことを可能にした。RT-11というリアルタイム・オペレーティングシステムも用意されていたので、ソフトウエア設計がきれいにできた。PUMAもRT-11を使っていたと思われる。

 注2:順変換とは関節角度座標値(θ1、・・・θ6)→ 実世界座標値(OT)
    逆変換とは実世界座標値(OT)→ 関節角度座標値(θ1、・・・θ6)
    実世界座標系にはワールド座標系、ツール座標系、部品座標系、カメラ座標系などがある。

 

 3)発展性
 種々の直交座標系で、位置姿勢決めや移動命令を出すことができるようになったので、CCDカメラを使って作業対象の位置姿勢を計測して把持するような適応動作が可能になった。また、作業対象部品のCAD(Computer Aided Design)データが利用できれば、ロボットの教示作業を省力できる可能性が出てきた。

 1977年にGMの生産技術研究所(GMMD:General Motors Manufacturing Development)は自動車部品の組み立ての自動化に使うロボットの開発を公募した。その仕様はPUMA(Programmable Universal Machine for Assembly)としてまとめられていた。Unimation社はStanford大学計算機科学部研究員のVictor Sheinman(VicArm Incを作ってVicArmを研究用として販売していた)を雇って、Unimation West社で開発に当たらせ、Unimationの本社でGM向けに製造した。 
 PUMAの仕様とは、
 1)関節型のロボットである。
 2)人間の腕と等価(同じサイズ)である。
 3)人間との混在が可能である。
  (人間と触れても危険性が少ない低出力機を目指していたが、実際には最大可搬加重2.5Kgを持って最高速度1m/secで作業者に衝突すれば、作業者を殺傷するパワーを持っていた。この仕様は、達成されなかった。作業の高速化と衝突安全性は両立していない。ロボットは安全柵内部で運転されている。)
 4)段階的合理化が可能である。
 5)ロボット故障時は人間でバックアップできる。

注1:IRON AGE,Nov.28,1977. ONE BIG STEP FOR "ASSEMBLY IN THE SKY"

写真:Unimationから発売当初のPUMA(5軸型)(参照:ROBOTS IN INDUSTRY Vol.5,No.3 Fall 1978)、VicArmがその原型となっている。コントローラの上にアームが設置され、両者が一体化されている。ロボット故障時にコントローラも含めて交換される。交換された機械にプログラムとデータを入れ替えれば直ちに利用可能な状態になる「ロボットの互換性」が追及された。

図:PUMAの使われ方の概念図(GMの仕様)(参照:IronAge November 28,1977,One Big Step for "Assembly in the Sky")。ロボットアームとコントローラが一体化されている。


写真:Stanford大学コンピュータサイエンス学科のVictor Sheiman氏が人工知能研究用に設計した電動型ロボットアームVicArm。PUMAのベースになった。

 GMやFordなどの自動車メーカはスポット溶接や塗装作業の次のロボットの応用分野として、機械組み立て分野を考えていた。この分野のロボット化の困難さは後ほど思い知らされるわけだが、自動車製造工場の中での組み立て作業に従事する作業員の数は最も多く、ロボットによる自動化の効果は大きいように予想できた。また、多くの大学(例:Stanford大学)や研究機関(MIT,Chaies Stark Labs )でロボットによる機械部品組み立ての研究がなされていた。
 Unimation社(Unimateの製造会社)は、1979年代後半にFord Motorと共同でトルコンのサブアッセンブリーであるC-6ガバナー(部品数は12~15)の組み立て研究に取り組んだ。この研究で彼らは組み立てロボットに要求される最重要の性能は組み立て速度だという結論に達した。そこで、Unimation社はミニコンピュータで制御される6軸油圧サーボ型組み立て用ロボットを開発し、サーボのバンド幅は50Hzでツール端の加減速度は±2G,位置再現性は±0.1mmの高性能を実現した。私もこのロボットの実物をUnimation社で見たことがあるが、ロボットの後部がカバーされていて、動物の「アルマジロ」のような格好をしていたのが印象に残っている。

写真:機械組み立て用に開発されたUnimation 6000の2台が協調してC-5ガバナーを組み立てている。実際に商品化・販売されることは無かった。(参照:Machine and production engineering. 22.March 1978,Much to leran about robot)

 2台でC-5ガバナーを組み付けた結果は、組み立て所要時間が作業者の場合(一人)が46秒であるのに対し、31秒であった。このロボットは結局、実用化されなかったが、その理由はUnimation6000の価格が高すぎたためと思われる。作業者がガバナーを組み立てる場合の費用に対して、2台のUnimate6000がガバナーを組み立てる費用が高すぎ、また将来的に価格が下がらないとの判断があったのだろう。これ以降Unimation社は、ロボットの低価格化を目指して小型軽量の電動型ロボットの開発に方向転換する。

写真:Unimate6000の構造

 ユニメートロボットの成功に刺激されたのか、当時、工作機械の世界トップメーカであったシンシナチミラクロン社(米国)は1973年にT3(T3はThe Tomorrow Toolのアクロニム、開発者はRichard Hohn)というロボットを開発、発表した。コンピュータ(16ビットのミニコンピュータ)で制御された最初の市販ロボットではないかと思う(注1)。油圧駆動ということを除けば、現在のロボットと同程度の機能を持つものであった。ユニメートとは異なり、実世界の直交座標系で移動命令(直線移動制御、姿勢制御、移動物体追尾制御)を出すことができた。 GMMD(GMの生産技術研究所)はこのロボットとレンジファインダーという物体形状計測システムとを組み合わせて、Consightというコンベアトラッキングシステムを開発した(研究用)。コンベア上をランダムな姿勢で流れてくる複数種類部品の形状、位置、姿勢をレンジファインダーが計測、識別し、ロボットがその結果に基づいて部品を掴み、種類別にパレットに整列することができた。同様なシステムは現在では一般的に使われるようになったが、当時ではコンピュータ制御された産業用ロボットの大きな可能性を生産技術者に印象付けた。

 写真:GMのConsightロボットシステム(参照:Proceedings og 9th ISIR,1979,195)


  写真:Consightのレンジファインダーの原理


 注1:16ビットミニコンピュータ(浮動小数点演算ハートウェア付き)が使えるようになったため、サーボ系に滑らかな速度指令を出すことができた。初期のユニメートのような特殊なサーボシステムは不要になり、滑らかで高位置精度な動きが実現できるようになった。

 参考:ユニメートはコンピュータを持たなかったため、直交座標系での移動命令はできなかった。関節座標系(関節回転角度など)でロボットの位置姿勢が記憶され、移動命令は目標関節角度で与えられる。始点から終点(目標位置)までの各軸ごとの角度偏差に比例した目標速度が各関節サーボに与えられるので、各軸サーボの移動は同時にスタートし、ほぼ同時に目標値に到達する。したがって移動中の軌跡はほぼ直線的となる。

 産業用ロボットには、数mの動作領域内で、数10kgのペイロード持って、高加減速度(1G)で発進、停止する動作を長時間(数万時間)繰り返しても高い停止位置精度(1mm以内)を維持することが要求される。最高速度は毎秒1から2mに達する。
 こような要求性能は40年前の普通の技術レベルでは達成は不可能であった。ユニメートの技術者はそれをデジタル技術などの新技術で克服し、産業用ロボットを実用化した。
 現在のように、高出力電気サーボ用の高電流スイッチングトランジスタも低価格なコンピュータも無かった状況下で、彼らが当時採用したシステムの構造は、

 1)デジタル電子制御回路を採用(最初は真空管が使われた)
 2)位置センサには、アブソリュートデジタルエンコーダを採用(Engelbergerらが自ら開発した)
 3)位置データ、制御データの記憶にはドラムメモリを使用
 4)電気油圧サーボ系を採用し、サーボ弁には非線形な流量特性を持たせた。

 産業用ロボットの生命線である停止位置の再現精度の高さは、上記1)、2)、3)のデジタル技術と4)の技術を組み合わせて初めて可能になった。つまりデジタル制御技術が産業ロボット実現のキーであったといえる。デジタル技術は当時出現しつつあった数値制御工作機械(NC工作機械)の技術を参考にしたと思われる。
 またロボット必須機能である、「2点間を最短時間で移動する」性能を実現するために油圧サーボ弁に検討が加えられた。すなわち、通常のように入力信号に対して比例した流量を流すのではなく、その二乗に比例する流量を流すよう工夫した(注1)。これにより一定の減速度で減速でき、急減速でも振動を発生しないようにできた。さらに弁には入力信号がゼロの近傍で出力流量が無い部分(=不感帯)が設け、位置決め完了後に位置のドリフトが起きないように工夫した。つまり加速、定速移動、減速後、目標位置の数ビット前でクリーピング(低速移動)に移行し、一致したら不感帯部分で流量をシャットダウン(ON-OFF制御)して停止する。これらがデジタル電子回路で制御され、高い位置精度を実現できた。

 注1:入力信号の二乗に比例する流量特性を持つサーボ弁とは
   流量を制御するサーボ弁のスリーブのオリフィス形状が比例型サーボ弁のように矩形(サーボ偏差に比例してオリフィスの面積が増加する)ではなく、末広がりの三角形状(サーボ偏差の二乗に比例してオリフィスの面積=流量=速度が変化する)になっている。また、スリーブのオリフィスには不感帯が作られており、サーボ偏差(注2)が一定値以下になるとオリフィスを完全ブロックするので位置がドリフト(時間とともにずれてゆく)することは無くなる。

 注2:サーボ偏差とは
   サーボ偏差≒位置偏差=目標位置-現在位置

  
 

 私が始めてUnimateに触れ、特許などからその構造を調べた時は、EngelBerberらが最初のProgrammable Machineを作った時点から既に20年経っていた。ようやくUnimateは役に立つという評価が定着した時期であった。この20年の間に彼等がどのくらいの数の困難を解決せねばならなかったか想像に余りある。というのは、Unimateのような性能仕様を要求する機械は開発当初にはまだ世の中に無かったからである。産業用ロボットに要求される性能は負荷重量20kg、作業空間は1から2m四方、搬送速度は1から2m毎秒、位置決め精度は±0.5mm、10cm移動位置決め時間は1から2秒、運転継続時間は1日24時間連続で数ヶ月から1年間というようなものである。このような要求性能は現在では達成されているが、当時にしてはとんでもない高性能な要求であった。それも劣悪な工場環境という場での運転である。当時は現在の主流である大電力電気サーボはまったく存在せず、使えるのは油圧サーボしかなかった。油圧サーボでさえ、利用分野は航空機の翼制御などであり、それは人間が操作するサーボであり、運転時間も連続数時間である。産業用ロボットのように数ヶ月も無人で連続運転するような厳しい条件ではない。このような難題を、従来の比例型電気油圧サーボではなく、非線形型の電気油圧サーボとデジタル電子回路の組み合わせて実現したのである。

 トヨタ自動車ではホワイトボデー組み立てのためのスポット溶接設備としてユニメート2000(Unimate2000)が使われ始めていた。ボデー組み立て工場へ行くと、多数の屈強な男子工員が天井から吊るされた大型のスポット溶接ガンを操ってホワイトボデーの溶接を行っている脇で、溶接ガンをアームの先に取り付けた数台のユニメート2000が溶接を行っていた。数年後(1979年)に米国でのロボット利用状況を見学に行ったときには、アルミダイキャストの取り出しにも使われていた。アルミダイキャストの離形剤でどろどろになったユニメートがダイキャストマシンの横で腕を振り回していた。このような様子を見て、産業用ロボットは危険で汚くきつい作業を人間の代わりにやってくれる機械だと感じた。
 このような機械の必要性をイメージしてそれを現実化したアメリカ人の発明魂と理工学的能力の高さに感動したことを覚えている。ただし、トヨタ自動車がユニメートを導入した当時では、この機械の信頼性はまだ低くMTBF(トラブルなしで持続できる運転時間の平均)は500時間程度であり、とても実用的とはいえなかった(注1)。トヨタ自動車などのボデーメーカがロボットメーカ(ユニメートの日本製造メーカ)と協力して改良を重ね現在MTBFは10万時間程度になっている。

 注1:たとえば、200台のロボットを使う場合、MTBF=10万時間では500時間に1台が故障することになる。

 私が産業用ロボットの川崎ユニメート2000に初めて触ったのは1972年(34年前)であった。この時点で、GMなどの米国の自動車メーカは既にユニメートをボデー組み立て用のスポット溶接機として使っていた。トヨタ自動車もボデー組み立て用として使い始めていた。ユニメートは大量に使われた最初の産業用ロボットであった。当時の最先端の電子機械であり、今から見ても大変に興味深い構造を持っていた。コンピュータこそ使われてはいなかったがデジタル電子回路が高度な多軸油圧制御回路を制御していた。現在の産業用ロボットが持つ基本的な機能は既に備わっていた。しかしこの時点で既に、George DevolがPlayback devise for controlling machines using magnetic recordingの特許をとってから28年、George DevolとJoseph Engelberger(Father of Roboticsと呼ばれている)とが最初のProgrammable robot "arm"を設計してから20年経っている。(参考:Timeline of Robotics part2)。新しい概念の機械が世に出るまでいかに長い時間がかかることか、それをやり遂げたユニメートの発明者Engerlbergerに脱帽である。


写真はユニメート2000(5軸)

 現在の日本でのホームロボット開発では、ホンダ、ソニー、トヨタといった大企業が本気で取り組むようになった。これらの企業はかって産業用ロボットとその利用技術開発に熱心であった。その生産技術開発者の一部が他の部門の技術者と協力して今度はホームロボットの開発に取り組み始めた。その動きにトリガーをかけたのはホンダであった。95年に二足歩行ロボットを「発表するまでの10年間、ひそかに研究開発を続けていた。10年間に約100億円の開発費を使ったといわれる。

ロボット商品

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 ロボット産業もその生い立ちの時代から未来産業として期待されてきた。しかし、産業用ロボットとしては進化してきたが、それ以外の用途には発展がなかなかできなかった。米国などでホームロボットとしていろいろ商品化されたがほとんどが消えてしまった。日本でも過去に極限作業ロボットの開発が国家プロジェクトとして実施されたことがあったが、実用に至ったものはなかった。実用にするまでの技術がまだまだ未熟であった。日本では最近、ホンダが二足歩行の進歩に大きく貢献したことで、再び、産業界がホームロボットなどの開発に熱心になり始めている。特にコンピュータの高速化やモータ、センサの小型化が産業用ロボット以外の分野、つまり、コンピュータ産業や自動車産業や家電産業で進展し、再びロボットを作ってみようという機運が盛り上がってきた。

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